原発事故など放射線災害が発生した場合、原子力発電所の周辺住民が避難を余儀なくされる場合があります。この際、障がい者などの健康弱者は、避難に大きな困難を伴うことがあります。2011年3月11日に発生した東日本大震災および福島第一原発事故では、福島第一原発から半径20 km以内に避難指示が出されました。病院に入院していた障がい者や、自宅で生活していた障がい者も避難し、転院や長い避難生活を余儀なくされるケースもありました。今回は、東日本大震災に伴う避難で障がい者が直面した困難について、いくつか事例を紹介します。
災害の急性期に医療の供給レベルを維持することが重要
災害の急性期には、高齢者などの災害弱者への健康影響を最小限に抑えるため、医療の供給を維持することが重要です。災害後は、断水や停電、医療資源の不足、避難などによって、医療を提供し続けることが困難になります。例えば、災害の急性期には、糖尿病患者のインスリン確保、透析患者の治療継続、避難後のストレスによる慢性疾患の悪化などが問題になります。さらに、災害後は前述の困難により患者に提供できる医療のレベルが低下したり、傷病者の数が増加したりすることによって救急医療サービスが崩壊するなど、災害の状況に応じて医療供給が変化します。これにより、入院患者の健康に大きな悪影響が及ぶ可能性があります。
2011年3月11日に発生した東日本大震災および福島第一原発事故では、福島第一原発周辺地域に政府から避難指示が出され、その範囲は原発から半径20 kmに及びました。これにより、半径20 km圏内の病院では、3月12日に緊急避難を余儀なくされました。この地域における病院の緊急避難に関する研究から、医療資源の不足、指揮管理や外部機関とのコミュニケーションの混乱が、患者の死亡や後遺症の要因となったことがわかりました。しかし、災害の急性期に引き起こされた混乱が、入院患者の医療の継続にどのように影響し、死亡やその他の健康影響につながったのかは十分に調査がされていませんでした。そのため、この研究では、福島第一原発から5 km圏内の病院の緊急避難における、患者の死亡事例を検証しました。
今回検証した事例の患者は、83歳の男性でした。彼は中心静脈栄養、酸素投与、褥瘡予防ケア、皮膚ケアおよび気管吸引ケア、および日常生活の基本的活動の完全な介助を必要としていました。福島第一原発から半径5 km圏内の病院に入院していた彼は、東日本大震災および福島第一原発事故を経験しました。地震により、病院の電気、ガス、水道、電話は止まった状態でした。原発事故後、病院は病院避難に伴う人手不足、インフラや医療供給の途絶、重症患者を避難させる困難に直面しました。最初の避難が実施された3月12日以降、病院には自力で移動できない重症患者が最大129人残されていました。しかし、避難中の患者にほとんどの病院スタッフが同行し、病院に残って医療行為ができたスタッフはわずかでした。災害現場での対応を主導することになっていた福島県原子力災害対策センターは被災しており、十分に機能していませんでした。福島県災害対策本部も地震と津波の被害への対応に追われていました。病院では、介護者とインフラの不足により、彼に抗生物質の投与や誤嚥性肺炎を防ぐための気管吸引ケアを適切に行うことができませんでした。病院に残ったスタッフは、停電のために、点滴の速度を手動で調整しなければなりませんでした。また、チューブに注射器を取り付けて手動で気管吸引を行わなければならず、痰が吸引できないことがありました。彼は30~60分に1回の気管吸引を必要としていました。彼は病院避難の過程で、自身の避難が開始される前に亡くなりました。
この事例は、放射線災害の急性期に、避難前の入院患者に対する医療供給レベルが低下することで、患者の死亡につながる可能性があることを示唆しています。この事例の患者は、様々な疾患を抱えており、重症度も高い状態でした。急な避難行動は患者に大きな負荷がかかるため、病院は可能な限り避難を避ける傾向があります。しかし、今回の事例のように、人手不足とインフラの停止によって避難前から病院内で十分な医療が提供できなかった場合には、患者が避難を待っている間に重篤な健康影響が生じる可能性があります。そのため、災害時であっても医療の供給レベルを維持することが重要です。病院ではこの事例の教訓を踏まえて、今後起こりうる災害に備える必要があります。
災害による精神科患者への健康影響と施設間で患者情報を共有するシステムの必要性
災害は被災者に様々な健康影響を引き起こすことがあります。被災者は災害による外傷など、直接的な健康影響を被ることがありますが、特に高齢者などの脆弱な人々は、災害に伴う避難などによって間接的な健康影響を受けやすいと考えられます。事実、東日本大震災および福島第一原発事故においては、避難した入院患者と介護施設の入居者について、避難しなかった人々と比較して死亡リスクの増加が見られたことが報告されています。このような、災害に対して脆弱な人々に対する健康影響を緩和するための対策を立てる必要があります。
災害発生時、精神科患者の疾患への罹患と死亡のリスクは一般の人々よりも高いことが示されています。この理由としては、精神科患者は高齢者などの他の脆弱な人々と同様に、災害による急激な状況の変化に対し、適切な自己防衛行動をとることが難しいためと考えられます。
2011年3月11日に発生した東日本大震災および福島第一原発事故では、福島第一原発が位置していた福島県双葉郡から、ほぼすべての地域住民が避難を余儀なくされました。当時、双葉郡には合計901床の精神科病床を備えた5つの病院がありましたが、災害直後にすべての病院が閉鎖され、患者を避難させました。福島第一原発から22 km南に位置していた高野病院も例外ではありませんでした。高野病院の院長は、急な避難行動による入院患者への負担を考慮し、当初は避難しないことを選択していました。しかし、病院スタッフの人数が限られていたことから、最も医療ケアを必要としていた重篤な患者にリソースを集中させるため、精神科患者のほとんどを含む身体的に安定した人々を別の場所へ避難させざるを得ませんでした。今回は、一連の緊急避難を経験し、発災後5ヶ月で亡くなった、統合失調症の病歴を持つ54歳の男性の症例を報告いたします。
この事例の患者は精神科病棟に20年以上入院していました。2011年3月の震災により、彼は同年3月19日に高野病院から転院を余儀なくされました。3月19日までは、高野病院のスタッフは彼に一貫した医療ケアを提供しており、震災後の混乱した状況にもかかわらず、彼の心身の状態には著しい悪化は見られませんでした。3月19日には病院に残ったスタッフの数は震災前の88人から13人に減少しました、院長の比較的安定した患者を避難させるという決定により、彼はマイクロバスで高野病院から250 km離れた埼玉県の精神科医療を専門とするA病院に転送されました。転院後、高野病院のスタッフは各患者の紙のカルテをA病院の医療従事者に引き渡しました。日本では、患者の転院時に患者の状態や治療をまとめたメモを作成し、転院先に引き継ぐのが一般的ですが、今回のケースでは、災害後の作業量の増加と人手不足により、高野病院のスタッフは要約メモを作成できませんでした。A病院に入院後、特定の病気の発症は認められず、彼は症状を訴えたり助けを求めたりしませんでした。しかし、身体の状態は次第に悪化し、日常生活のあらゆる面で病院スタッフの支援を要するようになりました。4月27日、病院スタッフは彼に血便があることに気づき、彼は内視鏡検査と集中治療のため、東京にあるB病院に転院しました。A病院のスタッフは、A病院における彼の状態と治療をまとめ、この文書をB病院に引き渡しました。B病院ではすべての下剤の投与を中止し、内視鏡検査を実施しましたが、異常は発見されませんでした。B病院滞在中に血便は自然に止まりましたが、彼は重度の便秘により腸閉塞を起こし、次第に衰弱して自立できなくなりました。下剤は再開されず、彼は同年5月11日に高野病院に転院しました。この時点で、彼は完全に寝たきりの状態でした。避難期間中、精神状態は安定していたと報告されていましたが、高野病院の職員にとってコミュニケーションが困難になっていました。治療の過程で誤嚥性肺炎を発症し、同年8月に亡くなりました。
この事例は、災害時に施設間で患者情報を共有できるシステムを構築する必要性と、長期避難が精神科患者に致命的な影響を及ぼす可能性を浮き彫りにしています。長期の避難は精神科患者に大きなストレスをもたらす可能性があります。統合失調症患者は、一般の人々ほど容易に身体的な不調を伝えられない可能性があることが示唆されています。実際、この事例の患者は、避難先の病院で身体の状態が徐々に悪化したことを訴えませんでした。さらに、精神科患者は環境の急激な変化に脆弱であることが報告されています。高野病院の病院スタッフは、長期入院中に患者と信頼関係を築いていましたが、転院先では、患者は慣れない環境のため簡単に助けを求めることができなかったかもしれません。そのため、精神疾患や聴覚・視覚障害によるコミュニケーションの難しさに加え、長期避難や複数回の転院により、患者は困難な状況に置かれ、大きなストレスを感じていた可能性があります。また、長期の避難や複数回の転院により、施設間や医療従事者間での患者情報の共有が困難になることがあります。この事例では、転院の途中で下剤の使用が中止されました。一般的に、抗精神病薬は精神科患者に長期処方され、慢性便秘などの代表的な副作用に対処するために下剤が併用されます。下剤の中止は腸閉塞を引き起こし、腸閉塞による嘔吐が誤嚥性肺炎を引き起こした可能性があります。下剤の継続服用の重要性が転院先に伝えられていれば、下剤の中断は最小限の期間で済んだかもしれません。そのため、災害時にも機能し、医療従事者が患者や避難者の健康状態を容易に把握できる情報共有システムの確立が必要です。
この事例は、災害に伴う緊急避難が精神疾患患者の健康に悪影響を及ぼし、場合によっては致命的な結果を招く可能性があることを示唆しています。精神疾患患者特有のコミュニケーションの難しさ、環境の変化に対する脆弱性、および災害時に患者情報を共有することの難しさは、災害が精神疾患患者に及ぼす健康影響の要因となっていると考えられます。災害時は複数の病院が患者情報を共有し、不適切な治療の変更や患者の生活の混乱を減らすことが必要です。
長期にわたる避難が身体障がい者の長期的な健康に悪影響を及ぼす
2011年3月11日に発生した東日本大震災および福島第一原発事故では、福島第一原発周辺地域に政府から避難指示が出され、その範囲は原発から半径20 kmに及びました。原発事故によって避難を余儀なくされた地域の避難において、入院患者や高齢者に対する、避難が原因とみられる深刻な健康への悪影響が報告されています。これまで、災害後数日から数か月の短期的、および中期的な健康影響についての報告がされてきましたが、長期的な健康影響についての報告はほとんどありませんでした。そのため、この研究では、福島第一原発事故に伴う長期に及ぶ避難によって、健康に大きな影響を受けたと考えられる事例を調査しました。
福島第一原発の近くに住んでいた56歳男性の事例です。彼は2歳のときに右下肢動静脈奇形と診断されていました。右下肢は使いにくかったのですが、松葉杖を使って歩くことはできました。家族の介助は必要なものの、震災前は制限なく日常生活を送っていました。2011年3月11日、東日本大震災および福島第一原発事故が発生した当時、彼は家族とともに富岡町の自宅にいました。彼らには津波の被害はありませんでしたが、翌日に富岡町が避難区域に指定されたため、避難を余儀なくされました。彼らはまず、自宅から西に40 km離れた田村市の避難所に避難しました。避難所には身体障がい者用のスペースは特に用意されておらず、彼は公共の場にいると迷惑になるかもしれないと感じ、ほとんどの時間を車の中で過ごしました。数日後、彼は富岡町から西に60 km離れた郡山市のホテルの1室に移りました。度重なる避難による劇的な環境の変化は、彼にとって大きな負担となりました。自分がいることで家族が自由に避難できないと考え、家族に負担をかけているという精神的なストレスもありました。最初の避難から3ヶ月後、発熱と動悸の症状で郡山市のホテル近くの病院に行きました。そこで心房細動と鬱血性心不全の診断を受け、入院しました。入院中に、右下肢動静脈奇形が悪化し、右足に潰瘍ができました。治療により心不全は改善し、入院から約1ヶ月後に退院しましたが、足の潰瘍は退院後も治りにくく、頻繁な治療が必要でした。避難の繰り返しと入院で、彼の身体は著しく弱っていました。退院後も富岡町の避難指示は継続していたため、郡山市に避難者向けに建設された仮設住宅に入居しました。歩行、着替え、入浴には介助を必要としていましたが、食事やトイレの使用には介助は必要ない状態でした。仮設住宅は身体障がい者にとって特に厳しい環境で、家の周りの道路は舗装されておらず、外出の機会は著しく制限され、風呂は狭すぎて家族の介助が必要でした。彼の体調は徐々に悪化し、足のケアは続けていたものの足の潰瘍は改善しませんでした。2012年8月以降には寝たきりとなり、日常生活のあらゆる動作に介助が必要となりました。2013年7月には、唯一の楽しみであった避難区域内の元の自宅への一時帰宅もできなくなりました。家族との時間を優先し、入院を嫌がり、定期的な通院以外は医療ケアを受けていませんでした。2013年12月からは食事もほとんどとれず、右手足の痛みや息切れを自覚していましたが、病院には通いませんでした。2014年2月の深夜、右足の潰瘍から大量出血したため病院に搬送されました。入院後、難治性出血に加え潰瘍への感染が判明しました。輸血や抗生物質による治療が行われましたが、入院18日後に敗血性ショックで亡くなりました。
この事例は、身体障がい者が不適切な居住施設での長期避難を経験することで、身体的・精神的負担による活動の低下を通じて、重大な健康被害、さらには死亡につながる可能性があることを示唆しています。この事例では、患者は難治性の足の潰瘍からの感染と出血で亡くなりましたが、潰瘍は繰り返しの避難による動静脈奇形の悪化によって引き起こされました。また、避難中に家族に負担をかけているという気持ちと、避難所や仮設住宅における身体障がい者に対する準備の不足が、患者の健康状態の悪化に大きく影響したと考えられます。この事例以外にも、障がい者などの脆弱な人々の死亡率は長期間にわたって増加している可能性があります。災害がこうした脆弱な人々に及ぼす健康影響を抑制するため、更なる研究が望まれます。また、身体障がい者のニーズを考慮した災害対策を強化する必要があります。
精神科患者と病院スタッフの強固な関係が避難により失われ、長期的な患者の死亡率の上昇につながる
精神疾患を持つ人々は、高齢者や子どもとともに、災害による影響を受けやすいことがわかっています。2011年3月11日に発生した東日本大震災および福島第一原発事故では、避難した精神科入院患者の死亡率は、避難せずに病院に居続けた場合よりも高かったことが報告されています。彼らは、入院患者の平均年齢の高さ、避難自体の負担、故郷のコミュニティからの分離など、いくつかの要因が死亡率に関係しているとしています。避難中および避難直後の死亡率の高さについては報告があるものの、避難後の長期的な死亡率の高さの継続については、十分な議論がなされていません。
そのため、この研究では、次の2点を明らかにすることを目的としました。
①原子力発電事故を伴う複合災害における精神科患者の避難がどのようなものであったか
②避難後の精神科患者の死亡率の長期的な上昇に寄与する要因は何か
上記を明らかにするため、福島第一原発の北北西約18 kmに位置する私立精神科病院である、小高赤坂病院で行われた避難の事例を調査しました。震災当時、小高赤坂病院には104人の患者が入院しており、職員数は32人でした。34床が認知症の高齢者用に確保されており、そのうち約10人が寝たきりで点滴を必要としていました。さらに、統合失調症の患者2人が隔離室を使用していました。小高赤坂病院は福島第一原発事故に伴う避難指示により、閉鎖されました。小高赤坂病院のスタッフ2名にインタビューを行い、当時の状況を調べました。
小高赤坂病院の入院患者104人と職員32人のうち、3月18日に避難を完了するまでに死亡者や重症者は出ませんでした。経緯は次の通りです。
《3月11日》
地震発生後、人的被害はなく、建物に軽微な被害がありました。電気や水道などのインフラは維持されていましたが、電話などの通信は困難でした。地震の余震が頻繁に発生しました。
《3月12日》
テレビで津波や福島第一原発事故について放送されました。放射線被ばくの影響を考慮し、ドアの開閉や換気扇の使用を中止する措置が取られました。病院スタッフは、午後6時以降に、病院に避難指示が出されていることをテレビで知りました。午後8時30分頃、48人の若い患者(グループ1)と12人のスタッフが一般避難所に移動しました。
《3月13日》
前日に移動した48人の患者のうち、10人が避難所に適応できず早朝に戻りました。残りの38人の患者とスタッフは、遠方の市(福島市)の別の避難所に移動しました。翌日、38人の患者は他の5つの精神科病院に移されました。
同日、病院スタッフは患者の名札を作成しました。シーツを適当な大きさに切り、患者の名前、連絡先、病院名を書きました。一部の患者には衣服の裏に縫い付けました。また、カルテ、処方薬、食料品も用意しました。警察は当初、正午に避難用のバスが到着すると病院スタッフに伝えましたが、実際に到着したのは3月14日夕方でした。
《3月14日》
この日は雪が降りました。バス7台が到着したのは午後6時でした。患者と病院スタッフ66人(グループ2)は午後9時近くに出発しましたが、行先は知らされていませんでした。バスに乗車する患者の配置は病院スタッフが決めていました。例えば、「寝たきりの高齢者には座席が2つ必要で、その横に職員を配置する」ことや、「精神症状のある患者には経験豊富な男性看護師を配置する」ことなどが検討されました。避難中、統合失調症患者2名に男性スタッフ数名が常に付き添っていましたが、患者は予想されていたよりも穏やかでした。避難には9時間以上を要しました。
《3月15日》
避難所となった高校の体育館は、安全性が疑わしい場所でした。3月中旬にも関わらず厳しい寒さでした。精神科患者が温風器に近づき、火傷を負う可能性もありました。一般避難者は放射線被ばくを心配し、誰かが体育館の外のトイレに行くたび、「早くドアを閉めて!」と叫びました。体育館の一角には、5~6体の遺体が置かれた衝立がありました。4100人以上の高齢避難者が毛布にくるまって寝ていました。このような状況でも、一部の患者には点滴処置が行われていました。病院スタッフは患者の安全を守るのに苦労しました。ボランティアとして避難所で働いていた医師が、小高赤坂病院から避難してきた患者を診察しました。この医師の仲介により、重症患者10人を南会津町の病院に入院させる方針が固まりました。残りの患者と職員56人は、別の地元の福祉施設が受け入れることになりました。移動中、90歳を超える患者1人が「私を放っておいて。ゆっくりさせてあげるから」と言いました。到着すると、患者も職員も温かい寝具と用意された食事に安心しました。その夜は患者が低体温にならないよう、看護師が患者と一緒に寝ました。
《3月16日》
朝から雪が降り続いていたため、小高赤坂病院のスタッフが率先して雪かきをしました。南会津町の薬局で処方箋をもらい、患者とスタッフ全員がシャワーを浴び、入浴することができました。
《3月17日》
患者の主な避難先は東京の病院に決定しました。スタッフのほとんどは患者に同行して東京に行くことにしましたが、他のスタッフは福島県内の他の避難所にとどまるか、ボランティアをすることを選びました。
《3月18日》
午前7時に3台のバスが出発し、正午前に東京の病院に到着しました。病院全体で患者を迎えました。
ここまでが避難の経緯になります。今回の調査では、原発事故後の精神科患者の避難がきわめて厳しかったことが明らかになりました。入院患者の避難は一般住民よりも遅れ、避難所は精神科患者にとって不適切な環境でした。しかし、病院スタッフは高い士気と患者への献身を維持し、避難中の死亡者は出ませんでした。避難のもっとも初期の段階では、放射線被ばくによる健康被害を懸念して、軽症患者48人の避難が先に開始されました。一方、3月15日の不十分な環境の避難所からの避難では、重症患者を優先しました。小高赤坂病院の強みは、スタッフと患者の強い絆でした。日本の精神科病院は、入院期間が長い傾向があり、それによって患者と病院スタッフの間に密接で強い関係が築かれます。しかし、避難後にその関係が維持できない場合は、避難後の患者の死亡率の長期的な上昇につながる可能性があります。例えば、園田らによって報告された患者の事例では、避難に伴う度重なる転院の中で、施設間のコミュニケーション不足により患者が下剤の継続使用を必要としていたことが十分に伝わらず、下剤の使用が中止され患者の死亡につながったと考えられています。
世界中で災害の頻度が増加しているにも関わらず、病院避難に関する体系的な知識はまだ確立されていません。さらに、精神科患者に特化した報告はほとんどありません。今後、平常時にどのような準備が必要か、また災害発生時には病院スタッフがどのように意思決定すべきかを示すガイドラインが策定されることが期待されます。
まとめ
東日本大震災および福島第一原発事故は、障がい者の健康に短期的にも長期的にも悪影響を及ぼしました。まず、人手不足やインフラの停止により病院内で医療供給のレベルが低下した場合、避難前の入院患者に重篤な健康影響が生じる可能性が示唆されました。また、精神科患者の避難については、精神科患者特有のコミュニケーションの難しさ、環境の変化に対する脆弱性、および災害時に患者情報を共有することの難しさが課題として挙げられました。災害時は病院間で患者情報を共有し、不適切な治療の変更や患者の生活の混乱を減らす努力が必要です。自宅で生活している身体障がい者について、不適切な居住施設での長期避難を経験することで、身体的・精神的負担による活動の低下を通じて、重大な健康被害、さらには死亡につながる可能性があることが示唆されました。障がい者のニーズを顧慮した災害対策を強化する必要があります。災害による障がい者への健康影響を抑制するため、平常時からどのような準備をすべきか、災害発生時には病院スタッフがどのように意思決定すべきかなど、ガイドラインの策定が望まれます。
謝辞
震災当時、過酷な状況の中、被災地で奮闘された方々に深い尊敬と感謝の意を表すとともに、今回の研究にご協力いただいた方々に厚く御礼申し上げます。
作成者:松本智紘